遠友だより
第161号 2011年11月30日
3年 国語 私の願う日本国憲法(1)
I.Tさん
日本国憲法について、私なりに考えてみました。それは国の定まりとして何箇条もありますが、家庭を守る私たち主婦にも解りやすく、納得できる国法であってほしいです。
昔武士の時代は、百姓を食いものにした悪代官が民を苦しめ、秩序を破りました。
昭和初期から戦時中は軍国主義の世の中でした。私の兄たちは、国が勝手に決めた「大日本帝国海軍」と名前ばかり立派な軍隊で、最後はぼろぼろになって紙きれ一枚の戦死でした。戦争中とはいえ、悲しい時代でした。
現代はどうか?国盗り合戦どころか政党が権力争いに右往左往している有り様です。今国民がどのような状況であるかに真剣に目をむけてほしいです。災害の問題、そして雇用の問題。手をつける事が沢山あると思います。
私の願う憲法は、民衆の目線できびしくも愛情をもった「民主憲法」です。
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K.Nさん
私は、世界の人々が幸せに暮らすために一番大切な事は「平和」である事だと思います。もし平和じゃなかったら、仕事も好きな事もできなくなります。日本国憲法は、戦争を放棄しています。これが一番大切な事なので、これから先もずっと変わらないでほしいです。
今回の授業で憲法前文を読んで、言葉のひびきがとてもきれいだったので、固いイメージだった憲法が少し身近になりました。前文以外のところも読んでみたいです。
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O.Iさん
私は今生きておりまして思うことは、一番に平和です。日常生活に多少の波風はありましても、普通に暮らして生きていられます。
先日「おじいさんと草原の小学校」という映画を観まして、心が震えました。今もこの映画のことを考えております。「私にとって自由とは、学校に行き学ぶこと。もっともっと学びたい。キマニ・マルゲ」本当に大事な事だと思います。
「あたらしい憲法のはなし」に「これから先日本は戦力を放棄します。しかし皆さん決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを他の国より先におこなったのです。」とありました。この文章に感動しました。
今私たちは平和が当たり前と生活しておりますが、66年前では考えられませんでした。戦争、戦争で多くの人たちは平和を望んでいたと思います。「新しい憲法のはなし」をいつかじっくり学びたいと思います。
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K.Jさん
国の政治は我々国民からなっていて、幸福と平和主義の思想に基づいて作られているが、本当にそうだろうか。
私が思うことは、雇用問題である。働き盛りの人達は企業倒産にあい、再就職することもままならず苦しんでいる。それと定年が延長されたことも原因ではないだろうか。
もう一つは、原発問題である。今回の地震で、どれだけの人々が嘆き悲しんだことだろう。ほとんどが壊滅状態で、いつ復旧できるのか目処さえ立っていない。
我々も、これを機会にもう一度見直さなければならないが、国も全力をあげてこの現実と立ち向かい、国民のために格差のない社会を実現するように、私は願う。
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K.Sさん
一語一句の意味を深く考えながら憲法に関する文章に触れた事は今まで無かったのでは、と思います。
主権は国民にある事、戦争の放棄、世界の国々と平等に、平和的に関係を保つ事等々どれ一つとっても守っていかなければならない事ばかりだと思います。考えてみるとこの憲法は、敗戦国として日本が自国の人々、世界の国々・人々に対して発した約束だったと思います。
もし日本が戦勝国になっていたらどんな憲法ができていたでしょうか?ふと思ってしまいました。
それにしても、この世界から戦争が無くなる日はくるのでしょうか。
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S.Uさん
昭和16年、戦争に突入。そして日本が戦争に勝ち進んでいた当時、満州、樺太と、日本人が一攫千金を夢見て移住しました。私達一家も同様に、樺太へ移住しました。
当時樺太には日本人が50万人もいて、景気が良く、皆が一生懸命働いてそれなりに暮らしていたのです。日本国内では長引く戦争にどれだけの国民が飢えに苦しみ、ご苦労されたことでしょうか。
ようやく昭和20年に終戦。私達はその三年後の昭和23年に、旧ソ連に追われるように家も財産も没収されて、リュック一つで日本に辿り着きました。
戦争後、日本は憲法9条に戦争の放棄を謳っています。世の中が、どう変わっていこうと、この9条だけは守ってほしいと、私は願います。
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I.Mさん
私は戦後生まれですが、憲法と戦争は気持ちの中でむすびついています。
世界各地で戦争が起きています。日本は憲法に守られているので、他の国との戦争を認められていません。
遠い他国では、戦争のためたくさんの人たちが傷つき死んでいます。世界中が平和と安全に暮らせたらいいな、と思います。
日本国憲法はすばらしいことを謳っています。
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S.Tさん
戦争、武力の行使ほど悲惨なことはないと思います。戦争によって人命も失い、健康で幸福だった生活も失ってしまったのです。
太平洋戦争が始まった時は小学生でした。戦争が次第に激しくなり、男性は招集されて、農家では人手不足になりました。そのため小学校でも労働力として働いたのです。本を持って登校しても、開くこともなく勉強できませんでした。勉強がわからないまま、高校の知識もなく社会に出て働きいろいろな事に直面し、如何に勉強が必要かを実感しました。
どんな人でも学校に行けて、ふさわしい教育を受けることができる世の中であってほしいと思います。
日本国憲法では三つの基本として、人権の尊重、平和主義、国民主権があり、国民を守るとあります。これが守られて、戦争が二度とない平和な幸せな生活ができる事を願います。
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N.Tさん
今までは憲法の事や国際社会の事など考えもしないで、只自分の為の生活のみだったと思う。一人暮らしになり外に目を向け、運動し、老人会にも行き、会う人達から色々と良い話が聞けるようになった。遠友塾もその一つ。
政治や平和の事など、やさしい心を持っている人、にこにこ笑顔の人を見て、私も笑顔で皆さんの話を聞けて、健康で老後を送りたいと思う。
わたしの願う憲法は、この先もずっと平和が続くことだ。
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