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夜間中学生交流の場


遠友(えんゆう)だより


(だい)157(ごう) 2011(ねん)2(がつ)23(にち)


年生(ねんせい)  忘年会(ぼうねんかい)感想(かんそう)冬休(ふゆやす)みの出来事(できごと)(2)


I.Sさん


忘年会(ぼうねんかい)大変(たいへん)まとまりが()(たの)しく、1年生(ねんせい)(どう)()指導(しどう)(くだ)さるスタッフの皆様(みなさま)(こころ)より感謝(かんしゃ)するとともに、これからの勉学(べんがく)にたいしても向学心(こうがくしん)()えるとともに、(つぎ)忘年会(ぼうねんかい)()頑張(がんば)気迫(きはく)(かん)じられる(たの)しみです。


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H.Yさん


忘年会(ぼうねんかい)()られずとても残念(ざんねん)でしたが、いつものように子供(こども)(たち)()て、天気(てんき)()くて、とてもおだやかな正月(しょうがつ)でした。

(また)、3学期(がっき)(たの)しみです。頑張(がんば)っていきたいです。


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N.Kさん


大変(たいへん)(たの)しかったです。


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T.Yさん


12(がつ)15(にち)教育(きょういく)文化(ぶんか)会館(かいかん)でクラス発表(はっぴょう)(かい)をいたしました。

(わたし)(たち)年生(ねんせい)演目(えんもく)「おさななじみ」は、O(くん)提案(ていあん)()まりました。

あまり練習(れんしゅう)する時間(じかん)もなく、とても心配(しんぱい)でしたが、(みな)さん役者(やくしゃ)(ぞろ)いで、上手(じょうず)にまとまりました。

先輩(せんぱい)(がた)()(もの)見学(けんがく)できなかったことは残念(ざんねん)でしたが、はや来年(らいねん)計画(けいかく)をいい()(ひと)もいて、(たの)しく()()がりました。


(ねん)国語(こくご)「ホシコ」を()んで(2)


A.Mさん


(むかし)農家(のうか)にとって(うま)がどんなに大切(たいせつ)で、間違(まちが)いなく家族(かぞく)一員(いちいん)であったと(おも)います。

物語(ものがたり)のホシコという(うま)は、(ひたい)にくっきり(しろ)(ほし)(かたち)。かしこく、コウとの出会(であ)いにより(とも)(はたら)き、(あそ)び、(たの)しい日々(ひび)()ごしてきました。

だがコウ20(さい)(とき)兵隊(へいたい)にとられました。ホシコは優良(ゆうりょう)牝馬(ひんば)指定(してい)だから戦地(せんち)()かなくてすむはずでしたが、ホシコの(うつく)しさが運命(うんめい)をかえました。連隊(れんたい)(ちょう)()そめられ、ホシコも中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)()きました。ホシコの出征(しゅっせい)から(いち)(ねん)()(なつ)でした。

戦争(せんそう)()くことがなかったら、コウとホシコは(はな)れることもなく、コウはホシコの()()って、(むら)(なか)()けまわっていたでしょう。


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T.Yさん


17(しょう)()かれて()(あらわ)されたこの物語(ものがたり)全体(ぜんたい)から、(いま)()(なか)(なに)大切(たいせつ)(わす)(もの)をしていると(かん)じました。あまりに物悲(ものがな)しい(はなし)ですが、でも当時(とうじ)はそれが現実(げんじつ)なのです。

戦時(せんじ)(ちゅう)(いぬ)(うま)、とくに(うま)徴用(ちょうよう)令状(れいじょう)戦地(せんち)へかり()されました。農家(のうか)にとっては(うま)大切(たいせつ)手足(てあし)であり、男手(おとこで)()りない出征(しゅっせい)兵士(へいし)(いえ)では留守(るす)婦女子(ふじょし)(うま)(ちから)()りて(はたら)いた時代(じだい)です。

「ホシコ」は心温(こころあたた)まるお(はなし)です。元来(がんらい)(うま)利発(りはつ)動物(どうぶつ)で、(ひと)(こころ)(なか)()行動(こうどう)する様子(ようす)には()見張(みは)ります。主人(しゅじん)のコウやその家族(かぞく)大切(たいせつ)(あつか)われたホシコは、(あい)してくれた人々(ひとびと)全身(ぜんしん)()くしたと(おも)います。


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F.Nさん


コウという少年(しょうねん)(ほし)()(うま)出会(であ)い、一目(ひとめ)(こころ)がつながり、名前(なまえ)を「ホシコ」と(こころ)(なか)名付(なづ)けた。

コウ以外(いがい)にはなつかないこの(うま)は、もてあまされ、コウの(いえ)にくる。家族(かぞく)やコウはその代金(だいきん)支払(しはら)うために、(こころ)(ひと)つにしてけんめいに(はたら)き、やさしくお(たが)いを(おも)いあう家族(かぞく)となる。

アイヌの老人(ろうじん)・セリマカンはコウに(うま)(せっ)(かた)(おし)えた。「人間(にんげん)()があるからといって(けっ)してたたいてはいけない」。この言葉(ことば)をしっかりとコウは(まも)った。

(あし)(わる)いゲンさんは戦争(せんそう)参加(さんか)できないひけめで、コウの家族(かぞく)のあたたかいやさしさに(こころ)がいやされていた。

コウとホシコはいつも(こころ)(ひと)つのように日々(ひび)()ごしたが、二十歳(はたち)になったコウは戦争(せんそう)にいくことになる。ホシコは(はな)(こと)ができないが、コウを(おく)りだすことの不安(ふあん)(かん)じとり、がんとして(どう)こうとしなかった。

コウやホシコも戦争(せんそう)という時代(じだい)(なみ)にのみこまれて中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)へわたり、二度(にど)(かえ)(こと)はなかった。

(そら)を、(あし)(みじか)青年(せいねん)(うま)がわたっていく」。この場面(ばめん)がせめてもの(しん)(すく)いと(かん)じられる。

作者(さくしゃ)加藤(かとう)()(いち)先生(せんせい)のあたたかいやさしさが、()むものに(つた)わってきます。その(うえ)(りん)としたかたい信念(しんねん)をもたれている(こと)がこの(ほん)から(つた)わってきます。

加藤(かとう)()(いち)先生(せんせい)講義(こうぎ)(なか)で、(わたし)たち(いち)(にん)(いち)(にん)質問(しつもん)にやさしい()をむけて(こた)えてくださいました。感銘(かんめい)をうけました。

守田(もりた)先生(せんせい)がこのすばらしい機会(きかい)をつくってくださった(こと)も、このまなびやで(まな)んだ(よろこ)びとなって(こころ)にのこると(おも)います。


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M.Nさん


(むかし)学校(がっこう)(やす)みの(とき)農家(のうか)手伝(てつだ)いに()ったものです。(いま)(おも)()すと(たの)しかったです。学校(がっこう)()っても教科書(きょうかしょ)(くろ)いスミをぬってきたものです。戦争(せんそう)につごうがわるかったのでしょう。

ホシコは農家(のうか)()られることになったけれど、借金(しゃっきん)までして、ついにコウの家族(かぞく)一員(いちいん)になりました。でもコウもホシコも戦地(せんち)()って、(かえ)ってこられませんでした。国策(こくさく)とはいえ現代(げんだい)では(かんが)えられないことです。

当時(とうじ)として()たり(まえ)だったことに、言葉(ことば)にならない(かな)しさがあります。





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