遠友だより
第132号 2008年2月20日
2年生 国語 私の好きな故事、ことわざ・慣用句
三つ子の魂百まで a.yさん
私の好きなといおうか心の隅にあることわざは、「三つ子の魂百まで」です。
というのは、子どもたちがまだ小さいとき、私は仕事に就きたいと思い、主人に相談したところ「せめて下の子どもが小学校に入学するまでは、家に一緒にいてほしい」と言われ、このことわざが思い浮かびました。
この時期の子どもたちの言葉、行動、しぐさは一生分の親孝行をしているともいわれます。そして、大切なこの時期に今こそ我々の愛で家庭でしつけ、教育をしてあげようと決意したのです。
いつもは賑やかで、ばたばたと一日があっという間に過ぎていく中で、あの時は久しぶりにゆっくりと話しをしたなぁと、振り返るとあったかい気持ちが私の心の中にあふれました。
ちなみに子どもは、一姫二太郎です。
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ローマは一日にしてならず ryokoさん
人生で絶えず自分に言い聞かせ努力してきた言葉です。
苦しいことのくり返しの中で、決死の覚悟で頑張ることができたのも、この言葉に勇気づけられてきたからです。
野口英世も幾多の失敗をくり返して世界に日本の名を広めたのです。
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耳 i.tさん
耳については、色々なことわざがあります。
「馬の耳に風」: 人の意見に少しも感ぜず、聞き流していりこと。これを「馬耳東風」といいます。
「馬の耳に念仏(ねんぶつ)」: 馬に念仏を聞かせても、その有難味がわからず何の効き目もない。
「耳語」: 相手の耳元でささやいたり、ひそひそ話や、耳打ちなど数多くあります。
今から十数年前に、日高地方、三石町に競走馬育成牧場寺に隣接して円昌寺というお寺があり、その住職が牧柵に寄り添ってお経の般若心経を唱えていると、牧草を食べていた馬たちが住職の所に集まってきて、耳を動かしながら聞いていた場面が、テレビに放映されたことを思い出しました。
このテレビ番組を見る限り、「馬の耳に風」「馬の耳に念仏」などは、ことわざ「耳」には、全部当てはまらないと感じました。
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人間万事塞翁が馬 i.hさん
この中国の故事は、恩師からのお便りの中に書いてあり、そこから知りました。意味を夢中で調べた思い出があります。
中国の国境のそばに一人の老人が住んでいました。ある時、飼っていた馬が急に逃げ出してしまいました。近所の人たちは、「お気の毒ですね」と言って慰めました。しかし老人は、「いやそんなことはない。これが福にならないとは限らないものです。私は馬が逃げたことを不幸だと考えずに、また福がくるのを待ちましょう」と言いました。逃げた馬はしばらくして、すてきな馬をつれてきました。
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歳を重ねただけでは人は老いない。
夢を失う時初めて老いが来る。 o.yさん
年齢はただの数字に過ぎない。二十歳の年寄りもいれば、百歳の若者もいる。主人は退職、子どもたちは自立、さあようやく私の番が来た! 出来ることならもう一度勉強したいと思っていたので…。家が農家で兄弟が多く、中学時代はあまり勉強が出来なかった。
チャンスがめぐってきたと思い、遠友塾に通い三年間学び、卒業はしたけれどまだまだ学びたい。学びながら友達が沢山出来たことが嬉しいです。人生は今が一番と思って夢を失わないで、健康で楽しく生きることを心に誓っています。
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花に嵐 k.mさん
私は、ことわざを聞くと、「花に嵐」という言葉を思い出します。
小学校の頃、母が良く口にしていたことわざだからです。良いことはあれこれ邪魔が入るものだと教えてくれましたが、母の説明では理解できませんでした。後に、花がきれいに咲いても風が散らしてしまうことから例えられたことわざと知りましたが、激しい風で花が散ってしまうなんて、悲しく寂しいものと子供心に感じたことを、今でも鮮明に覚えています。これも母への懐かしい想い出の一つです。
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猫の額 k.tさん
わが家の庭は猫の額ほどあります。そこには豆やトマトを植えていますが、夏になると豆は青く、トマトは赤くなり、とてもにぎやかに楽しませてくれます。それを友達に持って行くのも私の一年の内で一番嬉しいことで、お友達も楽しみにしています。秋にも、白菜の漬け物がとても良くできたのでまた持って行き、とても喜ばれました。
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異体同心 k.tさん
私は異体同心という言葉が好きです。一人一人は違っていても、心は同じ目的に向かい協力し合いながら、それを達成させた時は、本当にうれしいことと思います。
この度の野球で、アジア代表という目的で皆の心が一つになって進み、目的を達成できました。
私たち、遠友塾でも塾長を先頭にスタッフの先生方と目的に向かって歩いております。早く実現しますことを願っております。
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豚に真珠 k.kさん
私は随分前に、何かでこのことわざを見たときに、なんて女性を想像させる言葉なんだろうと思ったと同時に、太った女に真珠は似合わないことなんだと、自分勝手に解釈したことを思い出し、今でもつい笑ってしまいます。このことわざの意味は、値打ちのある物も人によっては何の役にも立たないことのたとえ言葉だとわかり、今までの私にもこの言葉のようなことがあったような気がします。
でもやっぱり、このことわざは女性的!とつい思ってしまいます。
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継続は力なり k.rさん
今から5年前に、友達に誘われて、生命の貯蓄体操(日本式気功)に週一回通っています。
体操が始まる前に正座で姿勢を正し、礼の号令で「お願いします」と言い、つぎに道場訓を読み上げ、それから体操が始まります。
約二時間、その中で休憩も入りますが、ゆっくりと体を動かす体操です。最後に正座で姿勢を正して礼、「ありがとうございます」のあいさつで終わりです。
最初の頃は体が痛くて、「私に合っていないかも」と言ったら、友達が「そのうちに痛さが快感になるよ」と言ったのです。
そんな時、体操の先生からの年賀葉書に書いてあったのが、「継続は力なり」です。今では体も慣れて、一回休むと体の調子が悪くなります。
平成18年に四級上の認定証も頂きました。そのほかに、先生がいつも言う言葉は「感謝の気持ちで続けること」です。
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秋茄子は嫁に食わすな k.gさん
私がクリスマス会で、秋野菜として茄子の役をするようになったとき、このことわざがちらっと思い浮かびました。でもこれを言うには抵抗があります。なぜなら私は姑(しゅうと)の立場だからです。
それでは本当は、どのような意味があるのか調べてみようと思いました。
一般的な意味の一つは、秋に熟する茄子は大変味がよいので、姑が嫁に食べさせたがらないという姑の意地悪さな気持ちを表すものと、もう一つは秋の茄子は種が少ないので、嫁に子どもができないと困ると思い、嫁のためを思って姑が気をつかうのだと言う意味の、ふたつの解釈があるようです。
私は後の方を取りたいと思います。ともあれ、上品でふくよかな味の茄子は、私は大好きです。
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七転び八起き s.tさん
私が49歳の2月22日の夜、隣から火が出てわが家も焼けました。前年の9月に増改築をして、笑顔で迎えたお正月。その幸せもあっと言う間に谷のどん底へ。次の朝、残骸と化したわが家に立って、声も涙も出ず、しばらくは三人無言のままでした。その後、私は「とにかく住むところを探す」と言うと、夫は「お母さんは立ち直りが早いからね」と言い、息子は「だるまさんだね」と言いました。「嫌だよ七転びは」と私が言い、三人の顔が少しゆるみました。
その後、辛いとき「だるまさん」を合い言葉に、目標に向かって、家族で頑張ってきました。
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気が置けない d.mさん
気心が通じていて、心から打ち解けることができることです。
私は、すぐ誰とでも慣れ親しみます。プラスにもなるし、マイナスにもなり、傷つくこともあります。どんな親しくても、長い間に不都合も生じます。長い、短いでなく、浅く、深くでもなくて、心の持ち方だと思います。
塾に来て、休むと心配してくれる、具合がわるいと気遣ってくれる友人や先生から、毎週「気の置けない」時間をいただいています。この方たちと再会するために、塾に来ます。
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光陰矢のごとし m.sさん
自分の人生、長いようでいて、短い人生です。
若いときから、消極的で困った性格です。健康を考えていこうと思います。色々悩むことも病気になって、落ち込むこともあります。
これからは、迷惑をかけないように、一日一日大切に、生きていこうと思っています。
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