遠友塾の設立について
2010年6月
工藤 慶一(1996年8月〜2010年7月まで遠友塾代表)
いつも当塾のホームページをご覧いただき、まことにありがとうございます。また、多くのご支援、励ましをいただき、感謝の念に堪えません。
札幌遠友塾自主夜間中学では、戦争や病気など様々な理由で学ぶことができなかった人たちが学んでいます。
1990年に始まり、今までに約300名の卒業生を送り出してきました。受講生の年代は10代から80代と幅広く、現在も85名の人たちが学んでいます。
みなさまのおかげをもちまして、2009年4月より、札幌市立向陵中学校で授業を行うことができるようになりました。
ここまでの道程には多くの事がありました。
このぺージで改めて、「札幌遠友塾自主夜間中学」の設立から現在までについて、ご紹介させて頂きたいと思います。
札幌遠友塾の設立と私
私が生まれ育った旭川市の春光町や花咲町は、旧日本軍の兵舎などの建物が多く残り、樺太から引き揚げてきた人たちがその建物に多く住んでいました。とても貧しくスラム街を形成し、小学校の同級生の中には修学旅行に持っていくお米がない人もいました。中学3年の卒業間近の時、あだ名が「デン助」というクラスメートが、私に亡き兄の使っていた高校の数学の参考書を手渡ししてこう言いました。「ヤカン(私のあだ名)、これを使って世の中を良くしてくれ」と。その時彼は、すでに両親も亡くしており、親戚の家から中学校に通っていたのです。自分は上の学校に行くこともかなわず、私に何かを託したのです。それは、とてつもない人生の宿題でした。「デン助、これでいいのか、これでいいのか」と心の中で今もつぶやくことがあります。
学びたくても学べないことがあり、だからこそ本当に学びたい、こうした人たちの悲しみや悔しさに応え、共に歩むことのできる道とは何か、ずっと考えてきたように思います。このため、大学を出て普通に就職する気もおこらず、大学理学部を3年で中退し、印刷工場で何年かアルバイトをした後、石油販売会社に就職し、今もその職にあります。
そのような中、1987年北海道新聞に、「遠友塾読書会」の記事が掲載されました。「遠友塾読書会」は、故「牧野金太郎先生」が主催し、自主夜間中学の設立を目指していました。(この「遠友塾」という名前は、明治27年から昭和19年まで50年間続けられた「遠友夜学校」から名付けられたものです。)
この動きは、私の探し求めてきた道だと直感しました。北海道では10万人をこえる実質的に義務教育を終えていない人たちが、切実に学びの場を求めており、日本国憲法第26条にある「教育を受ける権利」を実在のものとしたいという願いがわきあがってきました。
1989年には「札幌遠友塾準備会」を開いてスタッフを集め、翌年2月には賛助会員を募集し、3月末に北海道新聞に記事をのせていただき受講生を募りました。
入学希望の電話が鳴り止まぬ程、学びを求めている人たちがたくさんいることが分かりました。とうとう100名を超えたところで募集を打ち切り、残りの人は翌年まで待ってもらうという状態でした。こうして遠友塾の授業が始まり、20年たちました。
自主夜間中学の20年
今迄遠友塾で学んだ方々には、遠く旭川・風連・釧路・函館から3年間通った方もいました。
また、小さい時に子守りに出され学べなかったある女性は、結婚するため彼の実家に行ったところ、彼の母親から「教育のない母親に子供を育てることはできませんよ」と言われ、あまりのショックに二度と結婚しようと思わなくなったことや、ビルの名前が読めないために友達と待ち合わせることもできなかったことなどを教えてくれました。ようやく遠友塾にたどりつき、今では手紙を出せたり立派な作文を書けるまでになっています。
戦争で学校に行けなかった人や中国残留孤児と家族の人たち、就学免除で学校に行ったことがなかった車椅子の人、不登校を経験し家に閉じこもりになった人たちなど、たくさんの人々が遠友塾の門をたたきます。
しかし、こうした学びの場を維持していくためには様々な困難が伴います。何といっても、以前教室として使用していた札幌市民会館がなくなる事態に直面した時のように、教室場所の確保には本当に長い間苦しみました。あらゆる努力を傾け、札幌市長や市教育長はじめとする行政の方々や、札幌市立向陵中学校の教職員・生徒・PTA・町内会の皆様のご理解をいただき、また実に多くの方々が支えてくれたおかげで、昨年春から向陵中学校で継続的な「夢」の授業が実現しました。待ちに待った「本物」の学校での授業です。
また、2009年9月には「遠友塾20年のつどい」が170名の参加で開かれ、受講生・卒業生・スタッフが思いのこもった生活体験発表を行いました。笑顔で学ぶ受講生の人間としての素晴らしさに感動し、支えて下さる方々のあたたかさにふれる20年でありました。
これからの願い
2008年の「旭川遠友塾」に続き、2009年春からは「函館遠友塾」と釧路「くるかい」が開設され、自主夜間中学で学ぶ人の輪が広がってきています。(これらは「札幌遠友塾」とは別の団体です。)
今後もたくさんの自主夜間中学が道内にでき、さらに公立夜間中学の設置(東京・大阪を中心に全国で35校の公立夜間中学が活動)を求めていき、学ぶことに幸うすかった人々の灯台になれればと願っています。
また向陵中学校の生徒さんとの交流を通じ、若い人たちとともに学ぶことの意味を考えていきたいと思っています。
学ぶ喜びで笑顔一杯になる受講生と共に歩むことができることが、私たちボランティアスタッフの誇りでもあり、幸せでもあります。
これからも私たちスタッフと受講生は「心友」でありつづけることと思います。
この幸せを支えてくださっている皆様に感謝をこめて、ご挨拶とさせていただきます。