じっくりクラスの作文発表
我が家とテレビと映画スター
大野節子
昭和四十五年三月、春休みの事。子供たちと大阪で開催された万博に出かけることにしました。主人以外の私と子供全員です。子供たちに服を買ったり、列車の切符を買ったり、旅の準備には費用が掛かりました。仕事があって休暇の取れない主人は二十万円もくれました。そのほかに私は保険を解約して十万円作りました。
三月二十五日 夜出発です。函館につくと海は大荒れ。仕方なく、一行六人は駅前の旅館に一晩泊ることにしました。突然のことなのでロクな宿はありません。寒かったのですが温かい食事ができてホッと一息つきました。次の日朝一番の連絡船に乗り込みました。海は時化の後 大揺れで、船も大揺れ。由利子は二時間もしないうちに船酔いでもどしてしまいました。みんな床をゴロゴロしていました。
汽車に乗り換えなければならないので、皆眠いのに起こしました。寒いし、眠いし大変でした。でもみんなで駅弁を食べる頃には楽しさが戻ってきました。
大阪に着いて、さあ万博です。中に入り、皆で大歓声を上げました。中央には『太陽の塔』があり、大きいのと形がすごいのでみんな目を丸くしました。驚きの連続でした。モノレールに乗ると下の人が小さく見えます。「すごいね」「すごい」の歓声。今度はどこの館にしよう、アメリカ館にしようと話しているうちに、るり子がいないことに気がつきました。みんなで今来たところを探しましたか見当たりません。それで迷子届をだして、みんなで待つことにしました。一時間過ぎても二時間過ぎても見つかりません。他の子供たちはお腹が空いて不機嫌になります。本当にるり子はドジだと子供たちはブーブー言いました。私は困ってしまいました。その時です。テレビから「お母さん、るり子ちゃんが見つかったのでテレビに出てください。」とアナウンスがありました。案内されて出かけるとテレビに映っているのは娘、るり子です。やっと見つかりました。テレビに出演したのは家族の中でるり子が初めてでした。テレビに映ったるり子は泣いていましたが私も見つかって安心の涙で顔がくしゃくしゃ。テレビデビュウを喜んだのはずっと後の事でした。
そんなこともあり、並ぶのが遅れ、見るものが限られてしまいました。どこもすごく長い行列で大変なのが万博。あれも見たかったのにと心残りはつきません。でもその日は閉園時間がすぐ来て夕飯を食べて帰りました。次の日も次の日もでかけました。会場では写真を写しながら、みんなで今度は迷子を出さずに楽しみました。
私は今思うと田舎者。三十歳の私が大島のアンサンブルの着物を着て、髪を高く結い、子供を五人も連れているのです。それはないですよね。上着とズボンのほうが身軽です。三十の私はいつも十歳年上の主人に合わせて過ごしていたので、四十にも五十歳に見えます。大阪は三月でも暑いので写真を写すときに脱いだ新調の半コートを忘れてきました。今でも惜しい。残念。
何日かの楽しい日はあっという間に過ぎました。
大阪から上野へ、それから網走まで二日がかりでした。その夜、家に帰ってきた主人は「おお、よく帰ってきた」と機嫌が良かった。主人は一緒にはいかなかったけれど、一人独身生活を楽しんで、家にあった二十万円を飲み屋につぎ込んでいました。自分たちも楽しい思い出が出来ていたので怒ることはできませんでした。
それからしばらくたった昭和四十九年七月十日のことです。
あれやこれやの騒動の後、スナックの開店に漕ぎつけました。娘たち由利子とさき子も手伝いで働くことになりました。
店の名前はムーンライトです。姓名判断の小畑先生につけてもらいました。先生は網走で有名で、皆の心のよりどころでした。私もるり子がお腹にいることから見てもらっていました。先生が色々なことを教えてくれました。そのお陰で長生ができたと思います。本当に良くしてくれました。
開店の日は目の回る忙しさでした。おつりが足りなくなり、お客さんからの飲み代を預かり、娘のさき子は近所のお店に両替に走りました。ただ忙しく、私はお客さんにビールを注ぐだけで精一杯でした。お客さんと話す暇もないうちに閉店の時間になりました。三人で「よかったね」と言い合いビールで乾杯をしました。「明日もがんばりましょう」と近くのお寿司屋さんで一時間楽しい時間を過ごしました。
ビルのオーナーさんの所からバーテンダーさんが助っ人に来てくれました。お店の前のお花はお客さんが持ち帰って三日目にはなくなっていました。その頃には「お祝い」が店に届き、たくさんの のし袋で店の壁一面に張りました。本当にお店らしくなりました。三人とも嬉しかった。
十月の夜十時ころでした。急に店の外でガヤガヤと話し声がしました。三人のお客さんが入ってきました。その中の一人が背の高い美男子。私は世の中にこんな素敵な人がいるのかと、ただただ 見とれていまいました。すると、由利子がそばに来て、ママの前に座っている人が草刈正雄さんだというのです。テレビではみたことがあるけれど、本物の草刈さんが私の目の前にいるなんて何と幸せかと。と思う間もなくその連れの二人はビールを注文。娘たちが栓を抜いて注ぎました。私は草刈正雄さんのお相手、「僕はビールを飲めないからオレンジジュース」と注文をされました。私はオレンジジュースより赤い顔をして、ジュースを注ぎました。そして「いつ、網走に来たのですか」と聞きました。彼は「昨日からです。映画が来ているでしょう。『神田川』です」と答えてくれました。面白い映画だから見てほしいというのです。たぶん映画の宣伝に網走まで来ていたのです。一時間くらいお店にいました。他のお客さんも大喜びでした。
次の日、私はその晩のお店のつまみを買いに町に出ました。するとあの三人連れが道を渡ってくるのです。その周りに女の子たちが「キャー、キャー」と大騒ぎしていました。私の前に来ると草刈さんが「ママさん、昨日はどうも有難うございました」と言いました。ちゃんと覚えていてくれたのです。嬉しかった。由利子とさき子に話し三人で盛り上がりました。そんな楽しく幸せなこともありました。
美人揃いの親子三人でやっているスナックが評判になり、本当に毎日が忙しいのです。夜中帰る時、ハイヤーを頼むのですが、娘たちを見て「吹雪ジュン」だと言っては男の人たちが二三人追いかけてきました。そんなことは何度もあったのです。
▲大野さんの 発表
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