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夜間中学生交流の場


水俣(みなまた)(つた)えるプログラム


9(がつ)8日(ようか)(すい))、熊本(くまもと)(けん)水俣(みなまた)()にある作業(さぎょう)(しょ)「ほっとはうす」から4(めい)胎児(たいじ)(せい)水俣病(みなまたびょう)患者(かんじゃ)さんが()られて、じっくりクラスで「水俣(みなまた)(つた)えるプログラム」を(おこ)ないました。

「ほっとはうす」施設(しせつ)(ちょう)加藤(かとう)タケ子(たけこ)さんのパソコンによるスライドショーを(まじ)えながら、それぞれの体験(たいけん)(おも)いを(かた)ってもらいました。

報告(ほうこく)   中島圭子(なかじまけいこ) さん(じっくりクラススタッフ)


始めの会での紹介
(はじ)めの(かい)での紹介(しょうかい)
じっくりクラスでの交流
▲じっくりクラスでの 交流(こうりゅう)

永本(ながもと) 賢二(けんじ)さん
(とう)さんは原因(げんいん)企業(きぎょう)チッソに(つと)めていた。学校(がっこう)で、文房具(ぶんぼうぐ)などチッソのお(かね)(補償(ほしょう)(きん))で()ったといじめを()けた。
(つら)(とき)は、(みなと)()って(うご)くクレーンを()(なぐさ)められた。
松永(まつなが) 幸一郎(こういちろう)さん
水俣(みなまた)()(きた)(とな)りの津奈木(つなぎ)(まち)出身(しゅっしん)()どもの(ころ)から(とお)(はな)れた(まち)養護(ようご)学校(がっこう)(はい)り、(りょう)生活(せいかつ)をしていた。昨年(さくねん)まで自転車(じてんしゃ)()っていたのに、(きゅう)(あし)(わる)くなって車椅子(くるまいす)使(つか)うようになった。将棋(しょうぎ)得意(とくい)で、()大会(たいかい)でも入賞(にゅうしょう)した。
長井(ながい) (いさむ)さん
鹿児島(かごしま)(けん)出水(いずみ)()出身(しゅっしん)。12(さい)になった(とき)水俣病(みなまたびょう)患者(かんじゃ)病院(びょういん)学校(がっこう)出来(でき)たので、小学校(しょうがっこう)(いち)(ねん)入学(にゅうがく)し、21(さい)中学(ちゅうがく)卒業(そつぎょう)した。写真(しゃしん)()るのが()きです。
金子(かねこ) 雄二(ゆうじ)さん
雄二(ゆうじ)さんが()まれる3ヶ月(かげつ)(まえ)にお(とう)さんは(げき)(しょう)(がた)水俣病(みなまたびょう)()くなった。仕事(しごと)をしたいと(おも)ったが、(しょう)がい(しゃ)(やと)ってくれるところは()く、パチンコによく(かよ)っていた。

じっくりクラス受講(じゅこう)(せい)高橋(たかはし)さんは「お(かあ)さんのお(なか)(うち)水俣病(みなまたびょう)になってしまって、この(とし)まで親御(おやご)さんもどんなに苦労(くろう)なさったことでしょう。5(さい)(はじ)めて三輪車(さんりんしゃ)()っている写真(しゃしん)や、(わか)(ころ)のハンサムでかっこいい写真(しゃしん)()て、水俣病(みなまたびょう)でなければ、健康(けんこう)立派(りっぱ)(はたら)(ざか)りの(ひと)になっていたのにと(おも)うと()けて、()けて・・・」と感想(かんそう)()べられました。

「ほっとはうす」のテーマソング『(うみ)』を全員(ぜんいん)(うた)い、最後(さいご)(みな)握手(あくしゅ)をし、「お(たが)いがんばりましょう」「からだに()をつけて(くだ)さいね」と()って(わか)れました。


最後に握手でお別れをしました
最後(さいご)握手(あくしゅ)でお(わか)れをしました



*こちらに掲載けいさいしている受講生じゅこうせいおよびスタッフの文章ぶんしょう写真しゃしん音声おんせいは、本人ほんにん了解りょうかい掲載けいさいしています。

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