全国夜間中学校研究大会
全国夜間中学校研究会(東日本地区)
研修交流会の参加報告
2009年度
受講生の報告
研修交流会に参加して
伏見裕子さん
とある夏の日、私は縁あって東京に赴くことになった。
一日も早く江東区に夜間中学校開設を!
をスローガンに掲げる『全国夜間中学校研究会 研修交流会』へと出席することが決まったからだった。
全国各地から人が集まる、その中に、この遠友塾の人々も行くのだと聞いていただけのときはどんな人たちが行くのだろうかと気になっていただけだったが、まさか自分が行くことになるとは思わなかった。
その話しをいただいた時にはおびえ、怖じ気づく心もわきあがってきて、断ってしまおうか、とも思った。だが一呼吸の後には腹が据わった。
受ける、と。
5分弱ではあるが参加者に発表の時間が用意されてるのだそうだ。何を言っていいのだろうか、わからなくてドキドキする。
工藤代表に、どんな内容の話しをすればいいのかと聞いて見たものの、なんとなく自分の思うところを言えばいいんだ、といわれてしまう。それが一番困るのだ(笑)
緊張を抱えて東京に降り立つ私を向かえたのは、札幌では感じえないような熱く重い風だった。どうにも扱いかねる風。
そんななか見つけたどこでも変わらないロイヤルホストに安心するやらがっかりするやら。
お昼ごはんをお腹に入れて気合いも充填、区民センターの一室を借りた会場へと赴いた。
思いのほか人が多く、部屋が狭く見えるほどの人に見えた。
多様な学習の一つとして夜間中学を求める人々の熱気に満ちていた。
夜間中学の現状や、その在校生や卒業生の生の声を聞くことができた。
心に触れるたくさんの言葉たち。
やがて時が来て遠友塾の出番となる。
戸惑いながらも関係者全員で前に立ち、工藤代表の言葉から始まり私たちの出番となった。ささやかな発表の場だ。
けれど、ここに来るまで結局何を話していいのかわからなかった。
だから台本も用意していない。
ぐるりと目線だけで周囲を見れば、静かで真剣なまなざしがいくつもあった。
札幌遠友塾から縁あってきたのだと、挨拶から始まったような気がする。
具体的に話した内容の細部はもう覚えていない。
記憶を掘り返してここに、記してみようと思う。
* * *
私は、中学時代、不登校でした。
中学三年間のほとんどを学校に通っていません。
教室に満ちた、誰からということはできない、けれどべったりと重たい悪意のようなものに、私は耐えられませんでした。
親を交えて学校と話し合いの場を設けたりもしましたが、好転もなく、学校側からは面倒がるような、隠蔽したいような雰囲気が感じられるばかりで、私は教師や学校への不信を募らせていきました。
結果として教師嫌い、学校嫌いとなり、人を恐れるようになりました。
友人たちともどう接していいのかわからなくなっていき、人の行為の裏側を疑うような、人を信じることができなくなっていました。
好意を受ければオドオドし、その裏側を疑うような自分自身も嫌いになっていきました。それでも、卒業年度には私は卒業証書をもらいました。中身のない形だけの卒業証書です。
これを受け取ればもう学校やこの教師たちとかかわることはなくなるんだと、ただそれだけの証書でした。
中学の卒業後そのまま通信制の高校に入ったのですが、勉強の教材だけを受け取ってやってみるものの授業日に学校へいっても、中に入ることができずに結局通えずに6年が過ぎました。
それが、ある日いきなり私は学校に通い始めました。
遠友塾と、学校と、両方に。
どういう心境の変化があったのかは今でもわからないのですが、私は動き始めました。
学校では二年目からは部活動にも参加しはじめ、高文連などをはじめ公募展などに作品を出品するようにもなりました。
人の好意を、ありがとう、と言って受け取ることができるようになったような、気がします。
まだ好意を受けてどうしていいかわからずにオドオドすることはありますが、以前とは違う、その裏に悪意を疑うようにはならなくなっている、とそう思います。
私はそれが、とてもうれしんです。
* * *
続きがあったのかどうか、もう覚えていないし、内容もこの通りではないだろう。
ただ、こんな様なことを話していたような、そんな気がする。
暑かったが天気に恵まれたあの日、帰りに食べたベトナム料理がおいしかった。
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