全国夜間中学校研究大会
第54回全国夜間中学校研究大会 参加報告
2008年度
参加者感想
第54回全国夜間中学校研究大会に参加して
境 悠紀子(スタッフ)さん
私は映画「学校」で、夜間中学校というものが存在しているということを鮮烈に刻み付けられた。当時は小学校時代から桁外れの「荒れた」行動を取ってきた数人の中学生達と向き合って学年の教師たちが悪戦苦闘の毎日、その中の3人は3年になってもほとんど授業に参加せず、学校にくると即教師と取っ組み合いという日々。このまま卒業させるしかないのかと思っていた時にこの映画を見た。この3人にとって中学校での生活といえるものは実質何もない状態だが、「勉強したいと思った時に、こういう道もある」と彼等に知らせたいと思った。
強引に誘ってようやく彼らの「イエス」を取り付けたが、見事に待ちぼうけ。一方で受験に直面し、息苦しさを抱えている自分のクラスの子ども達にも勉強する意味を考えてほしいと「学校」を見る会を呼びかけ、こちらは十数名が参加した。
その帰り、ハンバーガーショップで目を赤くした子ども達の普段よりずっとなごやかで率直な会話を聞いていて、改めてあの「ツッパリ」たちと見にこようと決心した。二度目は3人中2人がやって来た。帰りのミスドーで、ポツリと「俺ら、これを見たからって、いい子にならないよ」と。思いがけない言葉に私は思わず笑ってしまった。結局私は3回も映画を見、それからずっと心に刻まれていた「夜間中学校」です。
今回の全国夜間中学校研究会に参加して、一番印象的だったのは、研究会後に設定されていた夜間中学の見学でした。見学する学校は、勿論小松川第二中(映画「学校」の舞台だった)。昼間の学校と細い道路を隔てて独立した形でたくさんの教室(一つ一つは小さめの)や食堂、小体育館等がありました。聞いてはいましたが、10代〜20代のフィリピン、中国、韓国、ブラジル等々外国からの若者が圧倒的で、年配の方や日本人の方は大変少数でした。わずか2・3ヶ月の日本での生活という人も含め、70人余の生徒全員が日本語で自分・祖国と日本を対比して・友人・夢等々について堂々と発表する姿に圧倒されました。
多くの人がこの学校に来て初めて友人が出来、生活が楽しくなったと語っていたことに、そう感じさせるこの学校の取り組みや教師たちの普段の努力を思いました。生徒会長をしているという若い青年(というより少年の感じがする)が、自分のクラスを紹介して、その一人一人についてよくその特徴を—「クラスのお母さん」、「太陽のような人」等々—紹介していたのにもとても温かいものを感じました。
開会行事のシンポジュームでは沖縄の夜間中学「珊瑚舎スコーレ」の報告と小林文人(東京学芸大名誉教授)さんの話が特に印象に残りました。沖縄では、自主夜間中学なので卒業認定がなされていなかったが、2005年に数万の署名を集めて県議会に請願し、議会は全会一致で可決して、2008年度より各生徒の市町村在籍中学校の卒業証書を受け取れるようになったということ、また希望すればその居住区の学校でも学べるようになっているそうです。(でも実際はみんな夜間中学の方へ来て学んでいる)
小林名誉教授の話では、本来公教育はどうあるべきか、教育行政が果たすべき責務は何かについてこれまでの夜間中学の実践・運動が果たしてきた役割が大きいことを話していました。あらためて「ユネスコ学習権宣言」にうたわれている内容にふれて、夜間中学の教育が今まで果たしてきた、またこれからも果たすべき役割—「学ぶ者」に主体があり、「教える者」にではない—について簡潔に述べていました。ユネスコ学習権宣言は20年以上前に初めて聞いた時大変感動しましたが、今回のお話であらためてその崇高な精神を心に刻みました。
(「ユネスコ学習権宣言」は、「北海道に夜間中学をつくる会」HPに資料として掲載されております。【北海道に夜間中学をつくる会/資料のページへ】)
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