札幌遠友塾自主夜間中学 20年の集い
生活体験発表
伊藤 郷子 さん(札幌遠友塾スタッフ)
こんばんは。今現在国語科の担当者としてご一緒にお勉強しています。卒業生のみなさん本当にお久しぶりでございます。本当に今日は嬉しく思ってます。
今日は、私がここに加わってから特にお世話になった方のことについてちょっとふれたいと思います。
開校以来6年前まで数学のチーフとして授業をしていまして、4年前に故郷の大阪の堺市に戻って行きました徳永知勢先生です。15期生以前のみなさんはきっと、覚えていらっしゃると思いますが、今日の20周年の式もとっても楽しみにしてまして、絶対行きたい行きたいと言っていたのですが、不都合が生じたようで、残念がっていました。私は最初の7年間は数学担当だったんですけれども、徳永先生にはいろいろと鍛えられ、いろいろ教えられました。数学が苦手だという方にとっては、きっと数学と言うのは、数字を操作するだけの、つまり、計算という何かそういう味気ないものだというイメージがあるからなのではないかと私はそう思うのです。でも「数学というのは、文化なのよ」と徳永先生は常々そう言っていました。その言葉通りですね、日常生活や歴史に根差した面白い話がたくさん徳永先生の授業には盛り込まれていまして、数学嫌いの人も、数学に対するイメージというものをがらっと変えるような、本当に血の通った授業、私はそういう感想を持っています。私も徳永さんみたいに血の通った授業をしていきたいなと思いながら、準備をして心がけていたつもりなんですが。
ある時、私も掛け算の九九表を見まして、一つの数字でもいろんな読み方があるんだなと。唱え方の表見ましてある時気がついたんです。たとえば8の読み方です。2×8=16の時は「はち」と言っています。3×8=24といえば「ぱ」と言っています。4×8=32の時は「わ」と読みますね。5×8=40の時は「は」と言って。こんな何通りも読み方が出来るんだな。掛け算の九九というのは、日本のごろ合わせの傑作ではないか、私がそれに改めて気がついた時には嬉しい発見でした。教育にたずさわっている方にとっては当然なのかもしれないですが、私が改めてこういうことに気づかされたのは、遠友塾のみなさんとお勉強したからなんだと思っています。
11年前の今頃、当時の国語科がぎりぎりの人数でやっていたんですが、そのうちの一人がどうしても都合つかなくなって、一人減ることになりまして、深刻な人手不足になったんです。ところで私は、授業受けた方にはまたかと思われているかも知れないんですが広島カープのファンでして、授業中も広島が広島がとつい脱線ばかりで、血の通った授業どころか、血迷った授業になってしまうんですけれど。その時徳永先生に言われたんです。「なに、広島が優勝逃がしたからショックだって?ふん、そんなの弱いから負けるのよ、それよりあなたね、国語科が深刻なんだから、行っといで」と蹴りだされ、押され、国語科に変わったわけなんです。ちょうど9月の30日が私が塾での第1回目の国語の授業だったのです。今でもはっきり覚えています。国語科に移っても掛け算の九九表のときのように嬉しい発見がいろいろ出来ればいいなと思いつつ授業の準備をやっているわけですけれど。国語科でも発見はあるわあるわという感じ。かな遣いひとつとっても、漢字のつくりひとつとっても、ああなるほど、自分は習ってきて分かっているつもりだったけれどちゃんと分かってなかったんだなと、まさにへ〜へ〜という思いの連続です。数学でも国語でもあるいはほかの教科でも、こんなの当然だと思ってしまったら、なんか勉強はつまらなくなってくるんじゃないかなと思います。誰が言ったんだかちょっと忘れたんですけれど、人間というのは、真理の前には皆赤子であるという、つまり赤ちゃんであるという言葉があるようですけれど、私も未熟な一学習者として、まだまだ勉強していきたいと思います。こんなこと話していますと、徳永先生の「そうよ!学ぶことが驚きと楽しみの連続である限り遠友塾は永遠に不滅よ!特に今日は4つも学校がそろっているんだから、わっはっはっは!」こんな声が聞こえてきそうな気がしてきました。
最後に数学科時代から今まで私のへたな血迷った授業を熱心に聞いてくださいました卒業生の皆様、それから今現在受講してくださっている皆様、それから常にあたたかくサポートして下さっています全スタッフの皆様、それからいつも温かい援助をして下さっています賛助会員の皆様、本当にあらゆる方に感謝申しあげまして、そしてこれからも旭川、釧路、函館での発展を心からお祈り申しあげまして、しめくくりとしたいと思います。どうも今日はありがとうございました。
※ 司会より「ここ20年、受講生さんで、釧路や風連(名寄)、函館など遠くから札幌まで通ってこられていた方々がいらっしゃり、頭が下がる思いである。また伊藤郷子さんも現在も伊達から通っている。」という説明あり。
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