札幌遠友塾自主夜間中学 20年の集い
生活体験発表
伊藤 フサ子 さん(じっくりクラス)
※ 司会
より、じっくりクラスチーフの横山さんと掛け合いでお話しを進める説明あり。
▲発表する伊藤さん(右)と横山さん
伊藤 こんばんは。私はじっくりクラスの伊藤フサ子です。よろしくお願いいたします。
横山 同じく、じっくりクラスのスタッフの横山です。これから漫才をするわけではなく、伊藤フサ子さんは、本当は自分一人で十分話せますし、話も上手なんですけど、ちょっと準備する時間がたりませんでした。自分史を書いたんですが、とても長すぎてそのままでは発表できないので、今日は20年の特別サービスということで、私がインタビュー形式でお話を伺いたいと思います。では早速よろしいでしょうか、ちょっと緊張しています。
フサ子さんが遠友塾に入学したのは2000年ですよね。入学して10年目になるんですけれども、フサ子さんの子ども時代は、今よりもっと障がいをもっている方に対する差別が強かったと思いますし、就学免除や就学猶予というのもあって、学校に行っていない方が多かったと思いますが、フサ子さんも一度も学校には行ってませんよね。子ども時代のことをちょっと話していただけますか。
伊藤 私は小さい時出て歩くことができなくて、親が一生懸命願をかけてくれて、ようやく少し歩けるようになったんです。弟が学校に行くようになって、私はどうして学校に行けないのかなと思って。障がい者だから行けないのかなと思って。親によく言ったのね。「なんで私は学校に行けないの?」って。でも母さんは何も言わない。弟が行って、私が行けないことがすごく悔しいの。勉強したくても、学校に行きたいと思ってもどうしようもない。でも行けないということは悔しい。弟は給食のパンを持ってきて、自分で食べないで私にくれる。学校に行ったら給食でるんだなって。私もそういう所に行って、代わりに弟に食べさせてあげたい。でもそういうことができない。学校に行きたくて、行きたくて、どうしようもなくて。でもいくら母さんに言ってもどうしようもなくて。ある年齢になったら親にはこれ以上言えないと思って、言わないようにしたのね。表に出たらいじめられるし、ばかにされるし、お前なんかいなくていいと隣近所に言われていたんですよね。だからあまり表に出ることはなかったです。
横山 苦しい子ども時代だったんですね。学校へ行けなくて、字が書けなくて、絵を見てずっと生活してきたと聞きましたが、学校へ行けなかったことで苦しかったことはどんなことですか?
伊藤 いっぱいあって。何も分からなかった、字っていうのはね。これは何だろうな、何だろうとわからなくて。母さんに絵を見なさいって言われたのね。字を見なくてもいい、絵を見なさいって。少し少しわかるようになるかもしれないよって。でも絵を見てもわからないの、すっごくあって。どうしてこう字って難しいのかなって。ひらがな、カタカナもほとんど読めないからね。自分は駄目なのかなって思って。悔しいのと、そんな自分がなんか嫌だなと思って…。
横山 そんなフサ子さんが、2000年に遠友塾にたどりついて勉強を始めました。その時はどんな気持ちでしたか?
伊藤 とても嬉しかったです。私みたいな障がい者はいるのかなって思ったの。でも行かないとよくないし、勉強も覚えたいし。行ったら皆に迷惑かけるのかなとか不安で。でも、とりあえず行って、勉強というか、そういう所に行ってみたいなと思って行ったんです。
横山 9年間通う中でいろんなことがあったと思うんですけど、途中でくじけそうになったことはありませんでしたか?
伊藤 ありました。何回も、何回も。勉強がわからなくて、ちょっと聞くわけにもいかないし、ついていかれないのね。皆さんが早いから、覚えるのがね。私はほとんど勉強というものをしたことがないから、本当に本当に大変で。あ〜学校やめようかな、学校はもういいかな、こんなにやっても自分には向かないのかなと思って。勉強はしたい。でもできない。でもやっぱりしたい。親が倒れて、母さんの面倒みなきゃいけないし、その合間でやってるから、なかなか勉強に集中できないし。でも頑張ってきました。
横山 やめないで続けてきたのは、何か目標があったからでしょうか?
伊藤 自分の名前と住所を書きたくて。今は住所と名前が書けるようになって、とても嬉しいです。
横山 フサ子さんと国語の勉強を一緒にしてたんですけど、その中で谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を一緒に読んだんです。生きていること、今生きていること。フサ子さんにとって今生きているといちばん実感するのはどんな時か書いてもらいました。ちょっと読みますね。「えんゆうじゅくのかえりみち、そらをみあげると星がかがやいている。いちばんひかっている星は母さん。母さんに『きょうもいっしょうけんめいべんきょうしてきたよ。』とほうこくするときがとてもしあわせ。生きていてよかったとおもう。」と書いてくれました。
字が書けるようになって、生活の中で何か変わったことはありますか?
伊藤 役所に行ったり、銀行でお金おろす時とか、自分の名前や住所を自分で書いてと言われたけれど、「書けないから、書いて」と言っても、書いてくれる人と書いてくれない人がいるから…。悔しくて。でも今書けるようになったし、とても嬉しいです。
横山 先程伏見さんからも話が出ていましたが、それまでフサ子さんも自分のことはほとんど話さなかったですよね。スタッフを始め、他の人に自分の心の内をあまり見せなかったフサ子さんが、おととしつらい自分の過去を語って自分史を書きましたよね。自分史を書こうと思ったのはどんなきっかけ、なぜですか?
伊藤 やっぱり自分をわかってほしい、私みたいな人がいることもわかってほしいと思って。恥ずかしいって言ってたら何もできないし、自分を変えていかなきゃと思って。
横山 今フサ子さんは言わなかったんですけど、おととしの2学期、これから国語の勉強何しようか二人で相談している時、ちょうど「北海道に夜間中学をつくる会」が活発に活動を始めて、教育委員会と教室確保のことで交渉している時だったんですが、フサ子さんは、私のような人がいることをぜひ知ってもらいたい。まだまだ勉強したくても勉強できない人が沢山いるから、自分もその人たちのために何かできることをしたい。教育委員会の人と交渉する時に、自分が作文書いて、それを誰かに読んでもらってと言って話し始めたら、だ〜と50数ページにわたる自分史になったんです。
辛い過去を思い出しながら文章にする作業は、本当に大変だったと思うんですが、自分史を書いたことで、何か変わったことはありますか?
伊藤 みんなから明るくなったし、すばらしいと言われて。みんなから声掛けられるのがいちばん嬉しい。書いてよかったと思って。
横山 ちょうどその作文の発表会をじっくりクラスでしたんですけれど、たまたまNHKが取材に来て、その場面が映されて。その後いろんな方から、お手紙をいただいたり、すごい反響ありましたよね。自分史を書いたことは、フサ子さんにとって自分自身を見つめ、次に進む大きな力になったのではと思います。作文のタイトルは「生きてきてよかった」ですが、作文には今苦しみを抱えている仲間へのメッセージがいっぱい込められている気がします。どんなことをいちばん伝えたいですか?
伊藤 生きていれば、私みたいに今がいちばん幸せと思える日がくる。私も何回も何回も死のうと思ったのね。生きていてもしょうがないし、みんなの重荷になるのは嫌だし。母さんの一言、「お前が死んだら母さん困る」って言われて、それからは死なないで母さんの分まで長生きしようと思ってがんばってきました。苦しんでいる人たちにわかってほしい。そういう人たちに伝えてあげたいと思う。絶対に死んじゃいけないし、絶対いいこと来るから。
横山 苦しみを乗り越えてきた人だから伝えられるメッセージがあると思うし、フサ子さんを始め、夜間中学で学ぶ人たちはそれを伝える力があるんじゃないかなと思います。
最後にこれからどんな勉強がしたいですか?夢とか目標があったら聞かせてください。
伊藤 これから漢字を覚えたい。ひらがな、カタカナしかわからないので、少しずつ覚えてがんばります。
横山 漢字を覚えて書きたいことがあるって言っていましたよね。
伊藤 今度は弟の作文を書いてみたいと思って。あと母さんのことも少し少し書いていきたいと思って。だからこれからもがんばります。
横山 次は弟さんと、お母さんの作文を書くそうなので、今度それを発表しますね。みなさん、楽しみにしていてください。
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