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夜間中学生交流の場


全国夜間中学校研究大会(ぜんこくやかんちゅうがっこうけんきゅうたいかい)


全国(ぜんこく)夜間(やかん)中学校(ちゅうがっこう)研究会(けんきゅうかい)東日本地区(ひがしにほんちく)
研修(けんしゅう)交流会(こうりゅうかい)参加(さんか)報告(ほうこく)

2009年度(ねんど)


受講生(じゅこうせい)報告(ほうこく)

研修(けんしゅう)交流(こうりゅう)(かい)参加(さんか)して


伏見(ふしみ)裕子(ゆうこ)さん


とある(なつ)()(わたし)(えにし)あって東京(とうきょう)(おもむ)くことになった。

(いち)(にち)(はや)江東(こうとう)()夜間(やかん)中学校(ちゅうがっこう)開設(かいせつ)を!

をスローガンに(かか)げる『全国(ぜんこく)夜間(やかん)中学校(ちゅうがっこう)研究(けんきゅう)(かい) 研修(けんしゅう)交流(こうりゅう)(かい)』へと出席(しゅっせき)することが()まったからだった。

全国(ぜんこく)各地(かくち)から(ひと)(あつ)まる、その(なか)に、この遠友塾(えんゆうじゅく)人々(ひとびと)()くのだと()いていただけのときはどんな(ひと)たちが()くのだろうかと()になっていただけだったが、まさか自分(じぶん)()くことになるとは(おも)わなかった。

その(はな)しをいただいた(とき)にはおびえ、()()づく(こころ)もわきあがってきて、(ことわ)ってしまおうか、とも(おも)った。だが(いち)呼吸(こきゅう)(のち)には(はら)()わった。

()ける、と。

(ふん)(じゃく)ではあるが参加(さんか)(しゃ)発表(はっぴょう)時間(じかん)用意(ようい)されてるのだそうだ。(なに)()っていいのだろうか、わからなくてドキドキする。

工藤(くどう)代表(だいひょう)に、どんな内容(ないよう)(はな)しをすればいいのかと()いて()たものの、なんとなく自分(じぶん)(おも)うところを()えばいいんだ、といわれてしまう。それが一番(いちばん)(こま)るのだ((わらい)

緊張(きんちょう)(かか)えて東京(とうきょう)()()(わたし)()かえたのは、札幌(さっぽろ)では(かん)じえないような(あつ)(おも)(かぜ)だった。どうにも(あつか)いかねる(かぜ)

そんななか()つけたどこでも()わらないロイヤルホストに安心(あんしん)するやらがっかりするやら。

(ひる)ごはんをお(なか)()れて気合(きあ)いも充填(じゅうてん)区民(くみん)センターの一室(いっしつ)()りた会場(かいじょう)へと(おもむ)いた。

(おも)いのほか(ひと)(おお)く、部屋(へや)(せま)()えるほどの(ひと)()えた。

多様(たよう)学習(がくしゅう)(ひと)つとして夜間(やかん)中学(ちゅうがく)(もと)める人々(ひとびと)熱気(ねっき)()ちていた。

夜間(やかん)中学(ちゅうがく)現状(げんじょう)や、その在校生(ざいこうせい)卒業生(そつぎょうせい)(せい)(こえ)()くことができた。

(こころ)()れるたくさんの言葉(ことば)たち。

やがて(とき)()遠友塾(えんゆうじゅく)出番(でばん)となる。

戸惑(とまど)いながらも関係(かんけい)(しゃ)全員(ぜんいん)(まえ)()ち、工藤(くどう)代表(だいひょう)言葉(ことば)から(はじ)まり(わたし)たちの出番(でばん)となった。ささやかな発表(はっぴょう)()だ。

けれど、ここに()るまで結局(けっきょく)(なに)(はな)していいのかわからなかった。

だから台本(だいほん)用意(ようい)していない。

ぐるりと目線(めせん)だけで周囲(しゅうい)()れば、(しず)かで真剣(しんけん)なまなざしがいくつもあった。

札幌(さっぽろ)遠友塾(えんゆうじゅく)から(えん)あってきたのだと、挨拶(あいさつ)から(はじ)まったような()がする。


具体(ぐたい)(てき)(はな)した内容(ないよう)細部(さいぶ)はもう(おぼ)えていない。

記憶(きおく)()(かえ)してここに、(しる)してみようと(おも)う。


* * *


(わたし)は、中学(ちゅうがく)時代(じだい)()登校(とうこう)でした。

中学(ちゅうがく)(さん)年間(ねんかん)のほとんどを学校(がっこう)(かよ)っていません。

教室(きょうしつ)()ちた、(だれ)からということはできない、けれどべったりと(おも)たい悪意(あくい)のようなものに、(わたし)()えられませんでした。

(おや)(まじ)えて学校(がっこう)(はな)()いの()(もう)けたりもしましたが、好転(こうてん)もなく、学校(がっこう)(がわ)からは面倒(めんどう)がるような、隠蔽(いんぺい)したいような雰囲気(ふんいき)(かん)じられるばかりで、(わたし)教師(きょうし)学校(がっこう)への不信(ふしん)(つの)らせていきました。

結果(けっか)として教師(きょうし)(ぎら)い、学校(がっこう)(ぎら)いとなり、(ひと)(おそ)れるようになりました。

友人(ゆうじん)たちともどう(せっ)していいのかわからなくなっていき、(ひと)行為(こうい)裏側(うらがわ)(うたが)うような、(ひと)(しん)じることができなくなっていました。

好意(こうい)()ければオドオドし、その裏側(うらがわ)(うたが)うような自分(じぶん)自身(じしん)(きら)いになっていきました。それでも、卒業(そつぎょう)年度(ねんど)には(わたし)卒業(そつぎょう)証書(しょうしょ)をもらいました。中身(なかみ)のない(かたち)だけの卒業(そつぎょう)証書(しょうしょ)です。

これを()()ればもう学校(がっこう)やこの教師(きょうし)たちとかかわることはなくなるんだと、ただそれだけの証書(しょうしょ)でした。

中学(ちゅうがく)卒業(そつぎょう)()そのまま通信(つうしん)(せい)高校(こうこう)(はい)ったのですが、勉強(べんきょう)教材(きょうざい)だけを()()ってやってみるものの授業(じゅぎょう)()学校(がっこう)へいっても、(なか)(はい)ることができずに結局(けっきょく)(かよ)えずに6(ねん)()ぎました。

それが、ある()いきなり(わたし)学校(がっこう)(かよ)(はじ)めました。

遠友塾(えんゆうじゅく)と、学校(がっこう)と、両方(りょうほう)に。

どういう心境(しんきょう)変化(へんか)があったのかは(いま)でもわからないのですが、(わたし)(うご)(はじ)めました。

学校(がっこう)では()(ねん)()からは()活動(かつどう)にも参加(さんか)しはじめ、高文連(こうぶんれん)などをはじめ公募(こうぼ)(てん)などに作品(さくひん)出品(しゅっぴん)するようにもなりました。

(ひと)好意(こうい)を、ありがとう、と()って()()ることができるようになったような、()がします。

まだ好意(こうい)()けてどうしていいかわからずにオドオドすることはありますが、以前(いぜん)とは(ちが)う、その(うら)悪意(あくい)(うたが)うようにはならなくなっている、とそう(おも)います。

(わたし)はそれが、とてもうれしんです。


* * *


(つづ)きがあったのかどうか、もう(おぼ)えていないし、内容(ないよう)もこの(とお)りではないだろう。

ただ、こんな(よう)なことを(はな)していたような、そんな()がする。

(あつ)かったが天気(てんき)(めぐ)まれたあの()(かえ)りに()べたベトナム料理(りょうり)がおいしかった。


*こちらに掲載けいさいしている受講生じゅこうせいおよびスタッフの文章ぶんしょう写真しゃしん音声おんせいは、本人ほんにん了解りょうかい掲載けいさいしています。

著作権法ちょさくけんほうゆるされている私的使用してきしようのための複製ふくせい引用いんようなどをのぞき、複製ふくせい転用てんようするさいは、かなら事前じぜん札幌遠友塾さっぽろえんゆうじゅくにご相談そうだんください。

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